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イ・ダスル信頼でき、胸が高鳴る声になるまで

イ・ダスルは、韓国の公共放送KBSの第41期公募で採用された声優だ。韓国語版で『リーグ・オブ・レジェンド』のレルと『ウィッチャー3 ワイルドハント』のイェネファーを演じた後、韓国の通信会社KTが展開するAIアシスタント、GiGA Genieの声になった。近年は韓国語版『鳴潮』のガルブレーナや『紅の砂漠』のデミアンなど、暗く重みのある人物を通して、自らの声の色をより鮮明に示している。

しかし、声優になるまでの道は一本の直線ではなかった。漫画とアイドルを愛した学生はYGのダンサーになり、司法試験に挑んだ後、韓国の地域放送局MBC江原嶺東のアナウンサーを経て、30歳で声優になった。ようやくたどり着いた仕事で再びスランプに直面すると、ヨガ、大学院、講師、執筆へと力を分けることで、かえって自分の中心を確かめていった。

AI音声と共に生きる未来を想像し、まだ完成していないガルブレーナの内面を演じ、呼吸を通して心と体を整える。いくつもの肩書きで働きながらも、中心にあるのはいつも声優だと語る人。いつかファンから「信頼できる。もう聞くのが楽しみだ」と期待される声でありたいと願う人の物語だ。

何より、私は私自身のオタクでいたい

私は1987年生まれで、2000年代初めには、韓国のアニメ専門ケーブルチャンネル、トゥーニバースからキャラクターもアニメも次々と溢れ出てくるように感じていました。初恋は『怪盗セイント・テール』で、セイント・テールの正体に最後まで気づかなかったアスカJr.です。その後は『封神演義』と『最遊記』が、10代半ばから後半の私を支配しました。特に『最遊記』と作者の峰倉かずや先生には、少し気恥ずかしい中二病めいた闇の感性がありますよね。私もわざと孤独な狼のように振る舞い、手の甲に三蔵を描き、指の間に『最遊記』と書いて歩いていました。

三蔵役だったホン・シホ先輩の声が本当に大好きでした。キム・スンジュン、カン・スジン、チェ・ウォニョン先輩も好きでしたし、『封神演義』で楊戩を演じたク・ジャヒョン先輩も大好きでした。一番の推しは、ヤン・ジョンファ先輩が韓国語版で演じた妲己です。悪役なのに、将来の夢はほとんど妲己でした。日本の少年漫画らしいキザな雰囲気がありながら、あまりにマイナーで韓国語吹き替えが作られなかった作品には、自分だけの架空のキャスティングまで考えていました。今も家にある昔の漫画を開くと、当時好きだった先輩方を配役した書き込みが残っています。

最近の人気作も勉強のために見ていますが、昔ほど深くは入り込めません。『鬼滅の刃』『進撃の巨人』『呪術廻戦』も見ました。五条悟には少し心を動かされましたが、それでも深く根を張るほどではなかったんです。キアン84さんが『太祖王建』を百回見るように、私は今も『ONE PIECE』『NARUTO』『BLEACH』『HUNTER×HUNTER』を繰り返し見ています。アップデートされないまま、喜んで過去に埋もれています。

人は誰でも、何かのオタクでいるべきだと思います。「私、どうかしているかも」と思うほど愛せるものを、いつも持っていることが必要です。ただし、その推し活の先には必ず自分がいなければなりません。何より、私は私自身のオタクでいるべきなんです。私がN.Flyingを長く好きなのも、彼らを幸せにするためではありません。彼らを好きでいることで私が幸せになり、その気持ちが生きる力になるからです。

10代の頃に好きだった言葉は、ほかの人が見れば気恥ずかしく、格好をつけすぎているように映るかもしれません。でも、その言葉は私を孤独にせず、勇気をくれました。何かを選ぶたびに、その選択を支えてくれる大きな力でもありました。今の私を支える土台は、結局あのオタク的な感性だったのだと思います。

司法試験と舞台を経て、マイクの前へ

江原道で学生時代を過ごし、私が一番得意だったのは勉強でした。話すことも好きだったので、得意な勉強を生かして、好きな話すことができる弁護士が自分の夢なのだと思っていました。2006年にソウル大学人文学部へ入学すると、両親の目から少し自由になり、好きなことをもっと楽しむことにしました。当時、特に好きだったのが漫画とアイドルです。

私は、好きなものをただ好きでいるだけでは終わりたくありませんでした。学園祭があれば、一人で舞台に上がってBoAのダンスを踊るような学生だったんです。もっと本格的に踊りたくて、21歳の時、当時韓国で広く使われていたSNSのサイワールドを通じ、YG専属ダンサーチームCrazyの全メンバーにメッセージを送りました。「せめてオーディションだけでも受けられませんか」と送り続けて返事をもらい、合格してYGで2年ほどダンサーとして働きました。それが職業人としての最初の一歩でした。

踊ることが大好きで、憧れていたアイドルと同じ舞台やコンサートに立てることも幸せでした。でも20年前、駆け出しのダンサーがそれだけで安定した生活を築くのは難しく、結局大学へ戻りました。当時は一つの道を選び、学業を優先するべきだという空気が強く、世の中にどんな仕事があるのか、自分に何が向いているのかもよく分かっていませんでした。

司法試験の勉強を始めてからようやく、弁護士や法律家が実際に何をするのか、その仕事が自分に合うのかを考えるようになりました。依頼人を代弁し、その事件に共感しながら共に闘う仕事を選んでいたら、私は毎日、演技とはまったく違う種類の大きなストレスを抱えていたと思います。勉強が得意で話すことが好きというだけでできる仕事ではないと遅れて気づき、だから諦めることができました。心はずっと舞台の上、照明の下、カメラの前に残っていたのだと思います。

26歳でアナウンサーを目指して一から始めることも、当時の私には遅く感じられました。副専攻も留学もインターンの経験もなく、その時になって初めて発声と発音を学ぶのは途方もないことに思えました。今ほど資料もありませんでしたが、自分の体と声を深く観察し、1年半でアナウンサー試験に合格しました。

KBSの声優公募試験では、少し作戦を立てました。私は映像を見たり何かを思い出したりするだけで、数秒のうちに泣くことができ、すぐに気持ちを切り替えることもできます。泣く理由のある台本が出たらすぐに泣き、審査員から次の演技ができるかと聞かれたら、何事もなかったような声へ瞬時に戻ってみせようと考えたんです。声優試験に目標を絞って学び始めてから、わずか1か月で合格しました。スタートが遅かった分、準備期間を徹底的に縮め、少しでも同じ出発線に近づこうとしました。人生には才能と作戦、その両方が必要だと思います。

好きな仕事を強く握りすぎたとき

いくつもの道を経て声優になった時、私は当時の韓国式年齢で30歳でした。この職業が人生の終着点だと思ったんです。年齢を重ねても活動を続ける先輩方が大勢いるのだから、もう仕事を転々とせず、「声優イ・ダスル」として100歳まで生きようと決めました。ファンとして夢見るだけだったディズニーの城へ、ようやく入れるような気持ちもありました。

でも、どちらも違いました。二つとも見事に打ち砕かれました。KBSの公募で採用された私たちは、一定期間を専属声優として過ごした後、フリーランスとして活動を始めます。私はアナウンサーとして放送局で働いた経験がありましたが、専属期間が終わった後、フリーランスの世界で生き残ることは、まったく別の問題でした。想像していたディズニープリンセスの城は、むしろ難攻不落の要塞だったんです。

失敗やスランプは人生から取り除くことも、避けることもできません。私はスランプに陥っている人を見ると、胸が痛くなります。それだけその仕事が好きだという証拠だからです。声優の仕事がこれほど私を苦しめたのも、好きすぎて、拳に穴が開くほど強く握り締めていたからだと思います。出勤した日だけでなく、退勤後も、仕事のない週末も、ずっと「声優イ・ダスル」として苦しんでいました。

意志の力だけでは手を緩められなかったので、ほかの荷物も指に掛けてみることにしました。力を分散すれば、声優の仕事を握る手からも少し力が抜けるのではないかと思ったんです。2017年にはヨガ講師の資格に挑戦し、得意だった勉強を生かして大学院にも進みました。フリーランスになったばかりで声の仕事が少なかった頃には、以前のダンス経験を取り出し、一回2万~3万ウォンにも満たないレッスンを探してダンス講師として働きました。

ヨガや大学院、ほかの仕事へ力を分けると、心に風が通りました。その距離が、物事を一歩引いて見る力を与えてくれたんです。死ぬほどつらく、自分にしかないと思っていた不幸も、少し離れて眺めれば「思ったほど悪くない」と感じられます。声優の世界が私を息苦しくさせる要塞だったとしても、その時間があったから今の私がいるのだと、少し感謝できるようになりました。ヨガ講師でいることも大学院生でいることも好きですが、結局、私のアイデンティティーと中心にあるのは声優だということも確認できました。

GiGA Genie、毒であり武器となった声

韓国の通信会社KTが展開するAIアシスタント、GiGA Genieは、「声優イ・ダスル」に存在感を与えてくれた転機です。その前には韓国語版『リーグ・オブ・レジェンド』のレルを演じたことで声優としての誇りが生まれ、『ウィッチャー3 ワイルドハント』のイェネファーを演じて職業上のアイデンティティーが定まったと感じています。最後にGiGA Genieを担当したことで、確かな存在感が生まれました。

演技において、私の中にある声はあくまで素材です。大切なのは、意図が相手へ明確に届くように表現することだと思います。聞く人に、その人物が何を言いたいのかが正確に伝わればいい。そういう意味で、私の声はグレーに近いと思っています。どこかで私の声を聞いても私だと気づかれないことがあり、反対に、私が担当していない声を聞いて「これ、あなたでしょ?」と言われることも多いんです。「声に色がないということ?」とも受け取れますが、私はどんな場所にも自然に溶け込めるところが好きです。GiGA Genieに選ばれたのも、その性質のおかげだと思います。

AI音声は、声優にとってある意味、毒です。過去の自分の声が未来の自分の仕事を食いつぶしてしまうからです。6、7年前にGiGA Genieのオーディションを受け、収録を始めた頃は、契約条件を吟味したり、AIが将来どのように使われるかを想像したりできる環境さえありませんでした。仕事をもらい、声優としてその仕事をした。それだけでした。短い間に時代は大きく変わり、声優だけでなく、多くの職業が不確実性にさらされています。

それでも、どんな場所でも1%は生き残ると思っています。私たちは韓国の名作アニメ『2020年宇宙のワンダーキディ』が描いた未来さえ通り過ぎました。私はGiGA Genieを武器にして、その1%として生き残りたいです。冗談のような話ですが、2040年頃に人類が月へ行くなら、そこで韓国人を案内する声が私の声だったらいいなと思います。こうなったからには、AIとなったイ・ダスルの声が宇宙を征服し、私が死んだ後も地球に残ればいいと思っています。

周囲には、私がGiGA Genieだと知らない人が大勢いました。でも韓国の人気テレビ番組『ユ・クイズ ON THE BLOCK』に出演してからは、「私、毎日Genieと話しているよ」「両親が毎日Genieと話している」と言ってくれるようになりました。その人たちの家族の中へ、私の声が自然に溶け込んでいたことがうれしかったです。

この仕事の始まりには、ある先輩の推薦もありました。私が子どもの頃から尊敬し、大好きだった著名な女性声優の先輩が、プライベートな場でオーディション候補について話した際、私を推薦してくださったそうです。「ダスルの声が合いそうだし、発音もはっきりしている。長期にわたる収録も要領よくこなせるはず」と言ってくださったと、収録がほとんど終わった後に聞きました。本人には伝えないようにと言われたそうで、今も直接お礼を言えていません。いつか機会があれば、「先輩、本当にありがとうございました」と伝えたいです。

青黒い土壌のように残したガルブレーナ

最近、イ・ダスルという声優を聞いて、韓国語版『鳴潮』のガルブレーナを思い浮かべる方は多いと思います。始まりはオーディションでした。すべての声優に開かれたものではなく、スタジオや制作陣がキャラクターと資料を見て、声や感性が合いそうな数人を選びます。初めてキャラクターデザインを見た時、目つきも雰囲気も衣装も含めて、「これは私のものだ」と思いました。中国語音声やほかのサンプルを聞いても、自分ならうまく演じられる、どうしても担当したい人物でした。

すでにイェネファーやレルのような、低く落ち着いた人物を演じていました。ガルブレーナは色だけを見ても深海のようです。鮮やかなエメラルドブルーではなく、濃い青黒色。その雰囲気と物語が、自分の表現できる声や感情に自然に重なると感じたので、キャラクターそのものへの不安はありませんでした。

不安だったのはタイミングです。ガルブレーナに出会う直前、大きなアニメ作品の主役、有名なオーディオブック、どうしても参加したかったサブカルチャーゲームと、三つのオーディションに続けて落ちていました。キャラクターは自分に合うと思いながらも、運や流れがまた味方してくれないのではないかと心配でした。2か月ほど過ぎ、ほとんど忘れかけた頃に、一緒にやりたいという連絡をもらいました。サブカルチャーゲームのオーディションは、1年に三、四回も来ないことがあります。『鳴潮』に参加し、一年を締めくくる重要な物語でガルブレーナを演じられたことが、本当にありがたかったです。ゲームを収録しながら、ずっと好きだったアニメを収録しているような気持ちにもなりました。

ガルブレーナは地味で、キャラクター性が弱いという反応も見ました。悪口だとは思っていません。その部分は、少し意図したものでもありました。幼少期と成長後の時間が分断され、キメラと共に孤独に過ごしてきた彼女が、『鳴潮』の物語の中で仲間と寄りかかれる場所を得始めた。その先でどんな姿を見せるのか分からなかったので、最初からすべてを完成させたくなかったんです。少し乾いて、ざらついて、動じない状態。ビニールハウスの中の土壌のように残し、後からどんな花や木が育つのか、余白を開けておきたかったんです。

『鳴潮』2周年イベントでは、ガルブレーナのコスプレをした方を自分から探して回りました。列に並び、「実は私、ガルブレーナの声優です。一緒に写真を撮っていただけますか」とお願いすると、ファンの方のほうが驚いていました。ガルブレーナが長く愛され、もっと多くの人に知られるためなら、声優としてできることは何でもしたいです。私自身がコスプレをするのは、少しやりすぎでしょうか。

子どもの頃に好きだった『美少女戦士セーラームーン』や『愛天使伝説ウェディングピーチ』のように、自分が演じた有名なキャラクターのフィギュアを、色とりどりに並べて飾るのが夢です。今はファンからいただいた5、6体のガルブレーナが、小さな展示スペースを埋めています。

ゲームの仕事を重ねるほど、自分が何を好きで、何を自然に表現できるのかが明確になります。ガルブレーナ、イェネファー、韓国語版『紅の砂漠』のデミアンのように、くすんだ重い色を持つ人物は比較的演じやすいと分かりました。同時に、まだ経験していないものも見えてきます。少年役にも挑戦したいですし、力強さの中に少し色気のある人物も楽しく演じられると思います。ナム・ドヒョン先輩から、ようやく私の色がはっきりしてきたと言っていただきましたが、暗く重い役だけでなく、かわいく明るい役も任せていただければ演じきれます。皆さんの作品にまだイ・ダスルの名前がなければ、気軽に呼んでください。よい結果で信頼に応えます。

よく息をしたなら、よく休めた一日

声優としてここに座っている今も、私の物語からヨガを外すことはできません。ダンサーを辞めた後、心の空虚さと体のこわばりを和らげるために始めました。20年前の韓国では、ヨガはまだ今ほど定着しておらず、オク・ジュヒョンさんがしている運動という程度のイメージでした。司法試験を勉強しながら気持ちが沈み、円形脱毛症まで現れた頃、冠岳青少年センターの月2万ウォンのクラスで、軽いストレッチのつもりで始めました。今では講師として活動し、自分だけのヨガを作りたいと思うほど、声優に次いで大きな領域になっています。

長い間、カカオトークのプロフィールには「健やかな体、健やかな心」と書いていました。ヨガは韓国で女性の美容運動として受け取られることもありますが、心と体を共に整える運動であり、修練でもあります。瞑想を通して自分の心を見つめ、何を考えているのかに気づき、それを手放して再び集中する方法を学べます。声優だけでなく、年齢や性別を問わず、すべての人に勧めたいです。

ソウル湖西芸術実用専門学校と、ナム・ドヒョン先輩が運営するスクールで教える時、授業の前半には必ず身体トレーニングを行います。ヨガを取り入れた呼吸とストレッチです。話すということは、呼吸という船に自分の声色という荷物を載せ、相手まで正確な距離を運ぶことだと思います。ヨガは体の隅々を理解し、そこへ呼吸を送る手助けをしてくれます。

台本を受け取るたび、その瞬間にどこへ力を入れるべきか考えるより、毎朝1時間ほどヨガやストレッチを続けるほうが、長い目で見ればずっと役に立ちます。声の変化、表現力、持久力、瞬発力まで、すべて伸ばせると断言できます。特に声優を目指すなら、自分がきちんと呼吸しているか、息を十分に吐いて吸えているか、ため息のように崩れていないかを、自分で見て聞けなければなりません。

私にとって、「休むこと」と「息をすること」はほとんど同じです。今日一日きちんと息ができたなら、きちんと休めた一日です。息が詰まり、いつ呼吸したかも分からないほど慌ただしく苦しかったなら、心も体も追われていた日です。私のモットーの一つは「忙しくても、楽しく」。どれほど体が忙しくても、呼吸を見つめれば心に小さな隙間と余裕が生まれ、その日を楽しめるようになります。

『ユ・クイズ ON THE BLOCK』に出演した後、人生がどう変わったかとよく聞かれました。答えは一つです。出演時には六つの仕事を持つ複業家でしたが、そこに作家という七つ目の仕事が加わりました。最初の本『こんにちは、プロの複業家です』は、自己紹介に近いエッセーです。本を出して各地で講演する中で、私のように複数の仕事をしたい人や、一つの分野だけを掘り下げるスペシャリストではなく、幅広い分野を扱うゼネラリストとして生きたい人が大勢いると知りました。

これからは人生120年、そして不確実性の時代です。複数の仕事に足場を持つことが、人生を支えてくれると考える人も多いと思います。二冊目には、より幅広い人へ応用できる内容として『誰でもプロの複業家になれる』という本を準備しています。三冊目には、アナウンサーと声優として12年以上働き、学生を教えてきた経験をもとに、声と話し方について書いています。呼吸、心の鍛錬、身体トレーニングについても盛り込む予定です。

信頼でき、胸が高鳴る声

2026年の今、声優としてちょうど10年目になりました。合格したばかりの頃は、実力と声の個性ばかりを考えていました。どこで聞いても「これはイ・ダスルだ」と分かる基本の声色が重要だと思い、自分の声にそうした個性がないなら、何を前へ出すべきかと執着していました。

10年が過ぎた今は、実力と同じくらい人柄も大切だと思います。その人自身が素敵だからこそ、その人の言葉やナレーションまで、よりよく聞こえる瞬間があります。さらに10年後には考えが変わるかもしれませんが、今は、よい人だからその人の言葉も心地よく聞こえ、どこへ行っても自然に溶け込める声でありたいです。

声優になる前にも30年の人生がありました。過去のどの時点へ戻っても、あえて介入したいとは思いません。10代の自分には何も助言せず、好きなように生きてもらいます。20代の自分には迷う時間を少し減らしてあげたい気もしますが、映画『アバウト・タイム』や『バタフライ・エフェクト』のように、小さな介入がもっと悪い結果につながるかもしれません。ただ「心配しないで」とだけ言うと思います。

30歳で声優になったことを、時々残念に思います。もう少し早く合格して、10年目の今が35歳くらいだったらよかったのに、とプライベートで話すこともあります。でも、それだけ迷った時間があったから、今の私はかなり悪くない人間になれたとも思っています。

50歳の私も、それほど変わってはいないでしょう。仕事が一つか二つ増えているかもしれません。歌は生涯のコンプレックスなので、長く学びながら自分の歌を出す準備をしています。テレビドラマの脚本家にもなりたくて、すでに書き始めています。50歳の私は、40歳でも懸命に生きていた自分に、「あなたがいたから今もかなり元気にやっている。ありがとう」と言うのではないでしょうか。

まだ声も名前も広く知られてはいませんが、サブカルチャーゲームやアニメの中で、信頼でき、胸が高鳴る声として記憶されたいです。「イ・ダスルがキャスティングされた。もう楽しみだ。信頼して聞ける。どの言語版と比べても、韓国語の声がきっと一番だ」とファンに思ってもらえる声優になりたいです。何年先にも、そう記憶されたいと思っています。

自分の話を届けられる場所があることに、心から感謝しています。これからも多くの声優が、このような場所でファンと語り合えることを願っています。